プロフィール
プロフィール
1956年6月1日
岐阜県恵那市にて生まれる。 緑ヶ丘の国立療養所(結核病棟)の官舎にて幼少期を過ごす 。その名の通り緑の豊かな地域で、のんびりと育った田舎者です。
1963年4月
恵那市立大井小学校に入学。行きはバスで帰りは徒歩で通学し、このころから健脚です。
1964年 東京オリンピックの年に、土岐市に転居
大井小学校から転校する際に、同じクラスの可愛い女の子に「あなたのことは一生忘れません」とのラブレターを渡していたことが、先方様の指摘により近年判明しました。おませな小学生でした。
転出先では、同じ東濃地方でありながら言葉づかいがあまりにも違うことに驚きました。「○○しや~あ(○○しなさい)」との言い方には、暫くなじめませんでした。
私の小学生時代
土岐市は美濃焼の産地であり、当時の土岐川の流れは粘土を含む工場の廃液で真っ白でした。
小学校三年生以来、ほぼ毎日日記を書き続けています。6年生に進級すると、「荒寛(あらかん)新聞」と題する壁新聞を百号以上発行し、主張を続けました(読み返すたびに、笑えます)。
社会の問題への関心はこの芽生えだといえます。
1969年2月 創価中学受験のため東京へ
当時は進学塾もなく、さしたる受験勉強をすることありませんでした。牧歌的な時代です。
入試を受けるために新幹線に乗り上京することが嬉しくてたまらず(三歳時以来の二度目の上京でした)、当時の日記には「こだま」号が停車した各駅の様子が詳細に記されています。
思い出深い学園生活
下宿や寮生活においては、週末を除いてTVを見ることは許されておらず、必死で勉強しました。当初は、バスケットボールクラブに所属したものの球技に向かないことを悟り、その後柔道部に入りキャプテンを努めました。
1975年4月 創価大学法学部に進学
八王子市で寮生活を、立川市で下宿生活を経験しました。全国各地から集った多士済々の友人と触れ合い、多大な影響を受けました。一生の財産です。
1980年10月 司法試験の口述試験で失敗
わが母校の出身者で、当の試験で初めて不合格となったという不名誉な記録を樹立してしまいました。あと一歩の努力が足らず、一年間を棒に振る結果 となりました。今となっては、よい経験です。
1984年4月
弁護士として名古屋市中区の旭合同法律事務所に入所。
当時はサラ金被害真っ盛りで、自己破産宣告の依頼などで多忙な日々でした。金銭問題・離婚・相続・交通事故など 、庶民の生活に密着した問題を数多く担当したことが、私の誇りです。
1986年4月 30才にて所帯をもつ
岐阜県立中濃高等学校の英語教諭であった妻・明子と結婚。お見合いです。
その後1988年9月に長女・寛子が、1990年7月に長男・貴明が誕生しました。
1992年7月26日
愛知選挙区から参議院議員に初当選。50万7295票を獲得するために、支持者の皆様にいかに献身的な努力をして頂いたかを思うとき、涙が止まりません。仕事でご恩返しをすることが、私の初心であり忘れることのない原点です。
1998年7月12日
比例区で再選。
皆様へのご恩返しの戦いを 6年間全力で展開していくことを決意いたしました。
2004年7月11日
三期目の当選(比例区)。
816,115票を獲得し、全国4位で三期目の当選をさせていただきました。